キャラクター研究班 第4回報告 -3-

京都編第3回です。目が…目が…

今回は朝藤さんです。

10月24日 この日、キャラクター班5名と引率者、先生による京都&彦根のキャラクター視察旅行が幕を開く。

午前7時に集合場所の知財館を出発。私はこれからの楽しい旅行に胸を躍らせていた。

高速道を走り途中何回かトイレ休憩をとる。

長い道のりを経て京都に入ったのは12時半くらいだった。


京都に着いて最初の観光は平等院だ。何回か京都には来た事はあるがここに来るのは私にとって初めてのことだ。

先生曰く修復工事なども終わってとても見応えがあるとのことと、

仏像を見るのが好きな私にとって国宝の木造阿弥陀如来、木造雲中供養菩薩像などがあるこの平等院観光は最初にして一番のメインともいえる。

到着して一番に目にはいるのは平等院へとつづく家並みだ。和風一色というわけではないのだがその所々に温かな印象をうける。それが見ていてとても楽しい。

赤い門で入場料を払い平等院に入る。日本だ…と思うみどりの道をぬけるとそこには鳳凰堂が建っていた。

十円玉や写真などではない生の!正直内心は興奮状態だ。こういう昔の建物を見るのは本当に感動する。

修復してきたとはいえ平安時代からこの平成の世に繋がってきている。なんだかそれはすごいことだと思う。

少し残念なのは天気だ。やや曇り気味。池に映った鳳凰堂と地に建つ鳳凰堂は天気さえ晴れだったらとてもきれいだったに違いない。そこが本当に残念だと思う。

とにかく興奮がおさまることはなく。気づけば私はいろんなアングルの鳳凰堂を写真におさめていた。

鳳凰堂には30分おきにしか入れないため先に平等院の博物館鳳翔館を観ることとなった。

鳳翔館には雲中供養菩薩、鳳凰一対、梵鐘といったものが間近で見られるように展示されていた。

どれもこれも見ているだけで素晴らしい!なかでも雲中供養菩薩はそれぞれが楽器を持ったり踊っていたり合唱をしていたりと可愛らしく見ていてとても楽しく、

一対の鳳凰といいこんな細かく美しいものを作り出した昔の人に素直に感動した。

 鳳翔館からでて鳳凰堂へとつづく道を通ると小さなお寺を見つける。その隅には源頼政の墓があった。

そういえば以仁王の乱というものがこの地にあったことを思い出す。なんだか昔って切ないとか思っちゃたりする私なのであった。

 待ちに待ってやっと鳳凰堂に入れることとなった私は初め以上に興奮状態に陥っていた。だって阿弥陀如来像が生で!間近でご対面できるんですよ!?

てっきり自由に見て回るのかと思っていた私は案内の方の存在に陰ながら驚いたりしていた。案内の方のお話は詳しく知らない私にとって本当にためになることだった。

平等院とは昔、藤原道長の別荘であったものがその子の頼通により寺院に改めたものより始まったもの。

実に驚いた。かつては別荘だったことに大変驚いた。寺院として今まで残ってきたが別荘としては残ってこられたのか?とささやかな疑問が頭の中にあったりする。

それにしても間近で見る阿弥陀如来象はやはり一味違う。なんというか身震いがおきる。如来象のほほえみで世界なんか簡単に救えそうだ。

そんな変な錯覚まででてくる。本来、この如来像の周りには雲中供養菩薩がたくさん飾られてあるらしいのだが修復やら展示やらで数体しかない。

そして昔は鳳凰堂の壁には色鮮やかな絵が描かれていたらしいのだがそれも今となっては見る影もない。

それが少しさみしいと思ったのとかわりに書かれてあった心ない落書きに怒りが募る私であった。

平等院からでたときには昼時が完全に過ぎていた。いきなりな話だが私は抹茶を愛する乙女である。

平等院に行くときからちらちら目に入ってはいたが…この地はなんと抹茶シリーズの多いこと…!抹茶八橋に抹茶チョコ、抹茶ソフトクリームにたっぷりかかった抹茶!

この地に長居すればわたしの財布の中身は一瞬でそこをつくだろう…。そこはなんとか耐え抹茶八橋と抹茶ソフトクリームを買うだけで落ち着いたのだった。

ちなみに抹茶の粉がたっぷりかかったソフトクリームは抹茶の苦みと甘さがマッチして最高においしかった。

テレビでも紹介されたことがあるらしいのでお好きな方は是非!!


しかし京都はやはり山口と違って日が暮れるのがはやい。

あっという間にあたりはうす暗くなっていて宿泊先の大正池グリーンパークに着くころには五時くらいにも関わらずだいぶ暮れていた。

大正池グリーンパークは近くに池が見える見晴らしのいいところだ。

ペンションの中も意外と広く一階と二階があり、二階は三人でも余裕で寝転がれそうなスペースがあった。

一階は入り口から見て左側に二段ベッドが二つ完備され部屋の真ん中には大きい台が置かれていた。

しばらく休憩を取った後私たちは晩御飯の支度にとりかかった。

初日の献立はビーフシチュー、フランスパン、サラダ、デザートといったなんとも豪華な献立である。

しかし最初に切りはじめたのは何故か栗。次の日の朝食のための栗なのだが、煮てない栗を切るのは切りにくくてしょうがない。

皮が固いから包丁に力をこめなければならないのだが栗が小さいので勢いづいて指を切ってしまいそうな勢いだ。

栗と包丁の恐怖に怯える私。テンションを上げるために一部の了解を得、携帯から細やかながらMr. Childrenの音楽をかけた。

こうしてMr. ChildrenをBGMに我々五人の栗との対決が行われたのであった…!

しかしここで思わぬ戦力発覚!我らの薙様が包丁とまな板を上手く使った皮剥きにでたのだ!

薙様の見事な皮剥きさばきに徐々に栗も減っていった。栗ももう残り少なくなり後は栗剥き名人薙様に預け、ことりちゃんと私はビーフシチューの野菜を切る事にした。

野菜の皮は任せろ!と私は片手にピーラーを持ち自炊の成果をスピードで微妙に発揮した。

それを華麗に切ることりちゃん。びしっと指示を言い渡す司令塔の涼由ちゃん。いろんな仕事をこなしはじめる万屋さぶろうさん。

とそんなこんなで野菜などを切り終え料理長兼料理監督の先生の技でおいしそうなビーフシチューへと姿を変えていくのであった。

ビーフシチューが出来上がるのを見計らってことりちゃんとさぶろうさんと私はサラダとデザートの盛り付けを開始した。

思っていた以上に野菜の量が多く、最初の方に入れた野菜がどんどん埋まっていってしまったがこれはこれで良しとしたのであった。

デザートの洋梨、パイナップルも切り、盛り付け終えこうして我々の晩ご飯は出来上がったのであった。

翌日 二日目 25日

 この日、旅行最初の京都での朝を迎えた。寝床は違っても朝はどこも同じだ。枕が違ってもすぐに眠れる神経図太い自分が清々しい。そう思う瞬間。

朝食は昨日の残りのビーフシチューとサラダ、パンを頂いた。先生の活動の早さと温めのタイミングの良さに乾杯。実にありがたい。

当初の予定としていた栗ご飯はおにぎりとして持っていき昼に食べようという事になった。

 この日は大原三千院観光に向かった。

平等院同様、三千院観光も初めてな私はやはり期待に胸がふくらむばかりである。

三千院に到着。

 なんというか……大自然!最初にふっと思ったのはそんな芸のない言葉であった。

空気もすんでいておいしく、実に素晴らしい大自然に私は感動するばかりだ。

車を降りて三千院へと続く道を歩く。道脇にはお店と思われる家々が並んでいる。朝早いためかまだ準備中のようであった。

大自然に囲まれた中でのそんな光景が昔の物語の一部のようで寒くいえばまるで物語の中に迷いこんだような…そんな風景であった。

 緑の木々や苔に囲まれた道を登って音無の滝へと向かう。

ジブリだ……!聖子ちゃん曰く誰でも思うそんな風景だ。あながち間違ってはいないと思う。何故なら私も思ったし、見知らぬ学生もそういっていたから。

音無の滝とは聖応太子という方が声明の練習の際に滝の音が音律に同調して音が無くなったことからそう言われはじめたらしい。

私はてっきり音が聞こえなくなるほどに滝の音がすごいのかと思っていたから驚きだ。

実際、生の音無の滝はそう私が思っているほど音がばかでかい滝ではなかった。別にでかい滝を期待していたわけではないが。

とても綺麗だと思った。緑の大自然に囲まれて岩をつたい溢れでる水。緑の中に白く映える水がとても綺麗だと思った。

名残惜しくも音無の滝を後にした我々は三千院へと向かった。

 ここも歴史ある建物……三千院。音無の滝へと向かう途中もちらほらと外から見えたが中はやっぱり違う。

般若信教などの展示物が飾られお守りなどもちゃっかり売られている。


おみくじもあった。毎回おみくじがある度に引くのがもはやポリシーとなっている私はすかさずそれを引いた。

もう引くだけで満足。

凶がでてもめげない!頑張る!

おみくじを引いて十歩ほど歩いたところ、それは目の前に拓けていた。

おっきい大自然の庭!

一瞬言葉を失いそうなほど緑が大きく広がり、まるで神獣かコビトか妖精でも住んでいるのではないかと思うとても綺麗な庭であった。


記念撮影をし、しばらくその庭を眺めた後、道順に進み外の方へとでる。

そこも苔の生えた大きな木が数本ならび立派な庭が続いていた。

真ん中の方に小さな建物がありそこに人だかりが見えた。

何があるのかと覗いてみたところそこには立派な仏像があった。

阿弥陀三尊坐像という仏像で正直私は庭よりも感激してしまったのであった。

だって……仏像が好きだから!

近くで見たい!と私は遅れているにも関わらず靴をきっちり脱いで階段を登っていった。

人が多かったためすごく近くでは見られなかったが私には大変満足であった。


三千院をでると朝の準備中の風景とは違いたくさんの人が行き交いとても活気づいた。

せっかくなので店を見てまわる事にした。

饅頭や八つ橋、民芸品といったものが売られている。見ているだけでも案外楽しいものだ。


やはり抹茶にめがない私は抹茶饅頭というものにひかれつつあった。

それがあった店を通り過ぎ売ってあった団子を食べながらずっと抹茶だけを思っていた。

饅頭の歯ごたえがとても好きだ。それに更に抹茶がつくなんて……これは……やはり買うしかない!

私の心は既に決まっていた。

団子を食べおわると私は駆け出した。抹茶饅頭を買いに。

ついでに唐辛子ふりかけもとても気になっていたのでそれも購入した私であった。


 いつのまにか昼を過ぎていた。車に乗って大原を去る。車の中で先生が握ってくれた栗ご飯のおにぎりを頂いた。

栗の甘さとご飯がとてもおいしくお腹を空かせた私には至福の時なのであった。


 数時間後。我々五名はとある京都の街中でおろされた。

三時ほどに錦神社で待ち合わせね。と先生は車で走り去って行った。

つまり三時まで好きに周りなさいということなのだが。

この五名の中に京都に慣れまくっている人はなく、ただひとつそこに持っていた京都のガイドブックだけが我々の命綱であった。

この状況……逆に燃える!

いっその事迷いこんでもいいなとか内心ばかな事を思う自分がいたが全体に迷惑がかかるからやめとこうと密かに自粛した。

 ガイドブックを見ながら徐々に徐々に進んでいく。

ガイドブックだけでも結構いけるものだ。私達は余裕を感じぶらぶらと気になる店を見はじめた。

最初に見たのは何故かゴシック系の店!

山口ではなかなか見ない店なので見ていてとても面白かった。

しかし買おうとは思わなかったのでまだ見続けそうな四人に一言をいれて私は一人はぐれないよう近くの店を模索していた。

いくつかの店を見るとどこにも見かける新撰組の羽織……。

正直欲しくてたまらなかった。

でも買ってどうしようかと思う私もあったわけでしばらく考えていた。

そういえば……ポプラ祭があるではないか…!?

そう思った時もう私は羽織を買っていたのであった。

よし!ポプラ祭には新撰組をしよう!

私の決意は変なところで硬いのだ。

その後もいくつかめぼしい店を見ながら先生の待つ錦神社へとたどり着いた。

全然迷わなかったので逆にびっくりだ。

錦通りは幅が狭いためかとても人が混雑していた。

売っているのは食材が多く先生は晩ご飯の食材をここでいくつか調達するらしかった。

本当に人が多く気が付いたら私と薙ちゃんはいつのまにか皆とはぐれていた。

てっきり先に行ったものと思ってどんどん進んでいたら抜かしていたようだ。

合流できて一安心。


しかし、豆腐屋のおばちゃんはなんか怖かった。

見ているのに何か?何か?と問いかけてくる。

先生にそこで待っているように言われた我々はかなり怖かった。

食材も買い終わり車でペンションへと戻る。

帰りぎわにことりちゃんと買った豆乳ドーナツがとてもおいしかった。

残りの食材も買い終わりペンションに着いた時はやはり初日と同じく暗かった。

帰って少しして晩ご飯の準備をはじめる。

今日の晩ご飯はすき焼きと水炊きだ。

本当は水炊きと湯豆腐だけだったのだが旅行前の会話が誤解をうみ晩ご飯はすき焼きという事になっていた。

私は牛肉より鶏肉が食べたいなぁとか思っていたら

いつのまにか今日のご飯はすき焼きにするか水炊きにするか!?という対決になり(それほど大袈裟ではないが)ほぼ四面楚歌状態が出来上がっていた。


別に死ぬほど水炊きが食べたいわけでもなく多数決ですき焼きになった。

が、先生が他にも鍋をしようぜ!と言ったのでほとんど無理やり水炊きにしてもらったのだった。

 この日の準備はほぼ傍観者な私。俊敏に動く涼由ちゃんとことりちゃんを見つめた後、私は水炊きに入れるために鶏肉へと手を掛けた。

 出来上がったすき焼きに水炊きはとてもおいしかった。

そしてなんといっても湯豆腐が美味!とろっとした舌触りに柚子ポンがよくあっていてこの時の晩御飯はとても最高で至福な時であった。

そして夜……

買った新撰組の羽織を私は自分で試しに着てみたり他の人に着せまくったりした。

一部、どこかのセールの人になったりしておもしろかった。

いつのまにかコスプレ大会になっていて楽しい夜が過ぎていった。

 私がお風呂に入った直後さぶろうさんに新たに不名誉なあだ名がついてしまったらしい。

その場に居合わせることができなかったのが残念であったが、そのネタでいじられるさぶろうさんを生暖かく見守っていこうとなんとなく心に決める私であった。


三日目 26日

 この日はこの研修旅行のメインといえる全国きぐるみサミットの行われる日である。

 朝食をとると仕度を済ます。次は別の宿泊地に行くのでペンションの中を軽く片付けて皆で記念写真をとると滋賀県の彦根城に向けて出発した。

 天気は小雨。外のイベントには最悪だ。

 念のため用意してあった折り畳み傘が役に立って嬉しいような悲しいようなそんな気分。

しかし小雨の中、結構な人があつまっていてさすがは全国きぐるみサミットと今更ながら感心した。


みちぞいに全国からゆるきゃらを紹介しに来た人々がテントを構えている。

 きぐるみサミットと言う事できぐるみの姿があるかと思ったがこう雨が降っていては姿がみえなかった。仕方のない話だが少し残念だ。


それでもしばらく歩くと数体のキャラクターのきぐるみがポツポツとでてきてはアピールしていた。

それをすかさずカメラにおさめようと雨の中かけだす私。

一番初めにであったのはビバッチェくんというビーバーをモデルにしたと見えるキャラクターだ。周りには人が集まり写真を撮るだけで精いっぱいであった。

他にも数体のゆるキャラの写真をカメラに収めたのだが名前などの確認ができず、非常に悔しい状態であった。

しばらくして左の道に入る。その道のわきにも一体着ぐるみが待ち構えていた。

タヌキをモデルにした。ポン山先生!頭には傘をかぶりとてもプリティーな見た目であった。

その名前にも興味をそそられる。もちろん写真を数枚激写し、一段落終えると近くにあった建物に入ることにした。

建物の中には流石は地元といったところか…ひこにゃんグッズがたくさん売られていた。人もグッズが目当てなのか雨宿りのためか人がたくさんいる。

私はとりあえずひこにゃんグッズを見ていた。ぬいぐるみ、ミニタオル、シャーペン、ピンバッチ。

どこを見てもひこにゃん、ひこにゃん、ひこにゃん!なんと可愛らしいのだろう。

あの何を考えているのかわからない瞳、もっちりとしてそうなほっぺ、大きな兜にリラックマ並に惹かれてしまう。

しかし一部ひこにゃんではないキャラがいるような?ん?七剣士!?なんだそりゃ。

どうやら彦根のキャラクターはひこにゃんだけではなかったらしい。

テレビでの浅い知識しかない私はひこにゃんの周りに結構キャラクターが多くいたことに驚いた。そして魅了された。七剣士に!

七剣士はよく見ると歴史上の人物をモデルに名前が出来上がっていた。微妙にそういう知識がある私はさらにそれで興奮。

七剣士のグッズはないものかと探し回った結果、ピンバッチを二つ購入したのであった。

 一通り見て回ったので着ぐるみサミットはひとまず後にし、せっかくなので近くの彦根城を観光に行った我々一同。

橋を渡り入口へと入っていく。入ってすぐ見える石垣にさえ思わず感動。

昔の人は今みたいに機械もないのにこんな立派な石垣を作り、今の今まで残っているなんて本当に感動する。

長い坂を登って行きいくつかの門を通る。どれもこれも立派な建造物で素晴らしい。

しばらく歩くとやっと天守閣が顔をだしてきた。またまた心のときめきがぐんぐん上がっていく。城!城!昔の建物を見るのは本当に最高だ。

この城はかつて関ヶ原の戦いの後、石田三成の居城であった佐和山城に入場した井伊直政が三成の居城であったことを嫌い、

居城を移そうと計画したことが築城の始まりであったそうな。

彦根城のキャラクター、ひこにゃんには敵キャラクターがいる。しまさこにゃんといしだみつにゃんだ。

もちろんそのモデルは石田三成とそれに仕えていた島左近である。

そういった昔の人物と関係からキャラクターを生み出すことはとても面白く、ますますひこにゃんワールドに魅了されてしまった。

城の中はほとんどその時のままに残されているようで感激だ。ただ一つ難点なのは階段が急ということだけだ。

中にはかつて城に使われていた材料などがいくつか展示されていた。

城から出ると城の周りをまわるように下りて行き彦根城の自然を堪能した。

彦根見学を終えると、今夜宿泊する宿 nao炬乃座を目指した。

再び京都へと舞い戻る。

nao炬乃座へ従業員さんの案内のもとやっとたどり着いたときあたりはまだそんなに暗くはなかった。

荷物を持って一軒家の宿へはいる。ホテルではなく一軒家!一軒家を貸し切りなのだ。

二階もあり、予想していたよりも広い空間といかにも日本!といった落ち着いた部屋に満足した私であった。

しばらく彦根の旅のつかれをいやすと、夜の清水寺観光へと出かける。

昼間の清水には行ったことはあるのだが夜は行ったことがない。夜の清水の景色はどんなものかと期待に胸が膨らんだ。

しかしここで緊急事態発生!あと30分ほどで清水寺の参拝が終了してしまうという事実が明らかになった。

まだ入場門に来てすらないのに!

けれどそんな事でへこたれません。いつもはのろのろと景色を見、遅れを取っていた私だがこれほど早歩きはしたことがないってほど早歩いたのであった。

傍からみたらすごい早歩きしている怪しい集団は清水寺へと入場した。

いつのまにか辺りは暗く染まっていた。

清水の舞台から眺める京都の景色。町が輝いている。

清水寺の建物は見にくくて残念だったが初めて見る清水寺での夜の景色はとても見事であった。

この時、おみくじで凶を引いてしまったさぶろうさんだったがめげないで頑張ってほしいと思った私。


夜の清水寺が終わり、今度は夜の京の町を見て回ることになった。

夜の京は昼間みていたのよりもやはり一味違う。なんというか古風な建物とぽつりと浮かんだ明かりが幻想的で美しい。

町をしばらくうろつくとこの日は外で食事をとり宿へと帰った。


この一軒家で一番の楽しみとなっていたのがお風呂である。帰ってきて素早く沸かすと臼井先生を筆頭に順番にお風呂に入って行った。

それまで暇であった私はずっとパソコンでインターネットをしていた。

お風呂からあがってきた先生と次回の大河ドラマをきっかけに歴史トークに華を咲かせていた。

熱中していたためか気がつくと時計は12時を回っており、ほかの人はお風呂を済ませ私が最後となっていた。

待ちに待ったお風呂!湯船は信楽焼でできておりその中にはひのきの玉が浮いている。

なんとムードのある素敵なお風呂なのだろうか!!そう思ったにも関わらずヒノキの玉をマッサージの道具に使っていた私はムードのない女なのである。


お風呂からあがるとさぶろうさんが一人一階にいた。どうやらみんなは寝所に行ってしまったらしい。

そういえば12時過ぎてたもんな~。そう思いながらも私はさぶろうさんとささやかなティータイムを楽しんでいた。

談話をしながら紅茶を二杯飲み寝たのが2時というあほな私。


最終日 27日

この日は遅く寝たにも関わらず気持ちよく起きられたと思う。

めちゃくちゃ早起きして近くの西本願寺に行ってみたいな~とも思ったがさすがにそれは無理だった。

各々支度を済ませ宿泊先のお勧めのパン屋さんに朝食を買いに行くことになった。

自転車で軽く行けるところにそのパン屋さんはあるらしい。我々は車で楽に行ったのだが。自転車が人数分なかったので仕方がない。

パン屋さんは小さい建物でカウンター越しに商売をしていた。カウンターの下に狭く並んだパンはどれもおいしそうであった。

さすがおすすめ。悩んだあげくみんな思い思いのパンを買って一軒家へと帰った。

朝食を済ませるとみんなそれぞれ旅支度と部屋の掃除をはじめた。

みんな支度がすむと記念写真を外と中と数枚撮り、お世話になった従業員さんへ挨拶し銀閣寺へと向かった。


 金閣寺にならい足利義政公により健立された銀閣寺は、残念なことに修復工事が行われており水の上に浮かぶその美しい姿を見ることはできなかった。

非常に残念で仕方がない。

金閣寺は行ったことがあるが銀閣寺は初めてだったのに!!

悲しみにくれながらも銀閣寺の周りに広がる庭園を見て歩いた。

観音殿、東求堂といった素晴らしい国宝の前を通り石段を登って木々の生える空間へと誘われる。

緑の苔が鮮やかに生え広がり木々がぽんぽんといい具合に間隔をあけ生えている。なんと清々しく素晴らしい緑の空間なのだろうか。

こんな庭ほしいな~と永遠に叶わぬことを思いながら私は銀閣寺が見られない悲しみをすっかり忘れ、庭園だけで満足していた。


東山慈照寺をでるとその前にずらっと並ぶお土産屋を見ることにした。

お土産屋には定番の八橋、饅頭、キーホルダーといったものが並べられている。

その中で抹茶好きの私の目を奪ったのが抹茶シュークリーム!!一瞬、買おうかどうか迷ったりもしたがやはり買ってしまった私。

最終日ということもあって財布の中が悲しみで詰まっている。

だがそれを吹き飛ばすように抹茶シュークリームの渋みと甘味の融合体が私の心を温かく満たしてくれたのであった。

八橋などいくつかのお土産を買い車に乗り込むと当初の予定を変え嵐山へと出発した。

到着嵐山。膨大な山々をバックにし桂川にかかる渡月橋が美しい。

ここではそれぞれ自由時間となった。

私は薙ちゃんと涼由ちゃんとともにお土産屋を見て回る。

一通り回るとまだ集合時刻まで余裕があったので少し天龍寺へと入った。

奥までは入らず入ってすぐにある社で祭っている毘沙門天を拝む。すぐそばで特別観覧をしているところがあった。

入場料が高くて一瞬渋った私であったが、特別という言葉に魅かれ一人入ってみた。そこは昔の絵と庭がみることのできる狭い空間であった。

正直500円の入場料でこれだけしかない展示物に内心がっくりであった。

だが柱の方を見ると昔、蛤御門の変での際血気盛んだった長州藩の方々が試し切りをした時の刀傷が柱の所々にあった。

この時代の知識もささやかながらあった私は本当にここであったんだなと実感できて入場料に対する不満がちょっぴり解消されたのであった。

 嵐山を後にし最後にちょっとした休憩に長岡天満宮へとやってきた。

学問の神様菅原道真が太宰府に左遷となった際にこの地に立ち寄った縁に創立されたらしい。

境内を軽くまわり長岡稲荷も参る。赤く立派な建物に静かに感激しながらしばしの休憩をとる。

この地を最後に我々は京都を離れたのであった。

行きとは違い帰りの時間は何故か遅く感じられた。この四日間多くの歴史を見ることができた気がする。

そしてもっともっとこの京都の歴史を見てみたいと思う私であった



朝藤さんのレポートでした。次回でラストです。がんばれ私。がんばれ。


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